November 10, 2005
rights and duties
コデラ ノブログ>ホワイトバンド自体がほっとけないんじゃ…
ホワイトバンドについては、色々あるみたいだけれど、これが事実だとしたら、これこそホントにほっとけないよ。
という記事を昨日書いたんだけど、コデラさんとこから飛んでくる飛んでくる。
こんな適当な記事で、皆さんに悪いっす…
で。
"rights and duties"とは、そのまま「権利と義務」という意味。
ボランティアや寄付に限らず、何かを選択するということは、個人の権利であっても義務ではない、というつもりで付けました。
けれど、権利だけが偏頗発生する訳はないよな、それには対価が必ず存在するだろうとふと思って、でもそれを補完する言葉が見つからず、上述のまま、放棄してしまって。
というか、僕の考える"選択"は、"個人"というそのものに付随する性質でしかなくて、それは"権利"という言葉とは、レイヤーが違うのかもしれない。
"権利"は他者と関係すること(つまりは"社会性")によって発生するものだからね(ホントか?)。
子供たちが、学校という社会でサヴァイヴしていくことは、とてももないストレスだと思うんだけれど、それでもきみたちが、個人として生きていくことは、誰にも左右されないことなんだよ。(11月11日追記)
男の子の間では、ホワイトバンドをしていない子供に対するイジメなども起こり始めており、ああ、本当に本末転倒というか、罪なことをしてくれたよなぁ。
ホワイトバンドについては、色々あるみたいだけれど、これが事実だとしたら、これこそホントにほっとけないよ。
という記事を昨日書いたんだけど、コデラさんとこから飛んでくる飛んでくる。
こんな適当な記事で、皆さんに悪いっす…
で。
"rights and duties"とは、そのまま「権利と義務」という意味。
ボランティアや寄付に限らず、何かを選択するということは、個人の権利であっても義務ではない、というつもりで付けました。
けれど、権利だけが偏頗発生する訳はないよな、それには対価が必ず存在するだろうとふと思って、でもそれを補完する言葉が見つからず、上述のまま、放棄してしまって。
というか、僕の考える"選択"は、"個人"というそのものに付随する性質でしかなくて、それは"権利"という言葉とは、レイヤーが違うのかもしれない。
"権利"は他者と関係すること(つまりは"社会性")によって発生するものだからね(ホントか?)。
子供たちが、学校という社会でサヴァイヴしていくことは、とてももないストレスだと思うんだけれど、それでもきみたちが、個人として生きていくことは、誰にも左右されないことなんだよ。(11月11日追記)






















